「はじめて、離島に生まれてよかった、って思いました。」
子どもたちの笑顔と、熱気に沸くアリーナ。
2025 年12 月26 日、3 度目となる「B-RAVE ONE」が開催された。
B-RAVE ONE(ビーレイブワン)とは
ヴェルカ特製の、各離島チームユニフォーム
アリーナでの試合の様子
子どもたちの笑顔、そして長崎ヴェルカの取り組みのわけとは。
そこにある、人々の想いを聞いた。
長崎ヴェルカ設立当初から、クラブのゼネラルマネージャーを務め、2023年1月からは同社代表取締役社長も兼任。長崎、地域創生のためB-RAVE ONEを立案した発起人。
はじまりは、2022 年に行った上五島でのクリニックでした。そこで、先生方のリアルな本音を聞いたんです。
「離島にいることで、子どもたちができる経験が本当に少ない。」
それまでもずっと課題は感じていました。だからそれを聞いたときに「じゃあ何ができるのか」という具体的な話になって。「試合をする?」「他の離島の子も集めよう!」と話が盛り上がり、はじめは「アイランドカップ」なんて言っていました。その後「離島はもちろん、さまざまな生まれによって色々な経験ができない子どもたちに」ということでB-RAVE ONE が生まれたんです。
発端となったのは、先生たちの声。中でも伊藤社長が「まるでB-RABE ONE の親善大使」とまで称するのが、橋本先生だ。島の先生たちを取りまとめ、仲間として参加してくれた橋本先生は、当時をこう振り返る。
長崎県の中学校教員で、バスケットボール部の顧問をしている。B-RAVE ONEのプロジェクト当初から、離島中学のリーダー的存在として取り組みに貢献してきた。
難しいことを言っているのは分かっていたし、まさか実現するとは思っていませんでした。
離島のみんな、思っていることは一緒なんです。でも解決する方法がない。例えば「経験をさせよう」と言っても、島外に出るお金がない。なかなか理解してもらえない家庭もある。「お金を出して遠征や大会に行っても、結局あまり変わらない」と。
そんな中、長崎ヴェルカが中心となって協賛を募り、協力してくださる企業さんが増えていって。子どもたちや先生たちがお金を出さなくてもいい形を作ってくれたんです。
保護者の最初の反応は「お金を出さなくていいの?」「アリーナでバスケの試合ができるの?」「ヴェルカの選手に会えるの?」と、信じられないといった風でした。
そして翌年、長崎ヴェルカも手探りの中行われたB-RAVE ONE は、大成功をおさめた。
はじめて行われたB-RAVE ONE (第1回)
試合後、離島の子と交流する馬場雄大選手 (第1回)
ベンチで指導する、川真田紘也選手(第2回)
フェスイベントでの盛り上がり(第2回)
橋本先生―――
実際にB-RAVE ONE を終えて、保護者からの反響は大きかったです。
翌年以降、「今年もやりますか?」「1 年生も参加できますか?」と、他校の保護者からも聞かれるくらい。アリーナでバスケができるだけでなく、本物の選手と会って触れ合えたこと。これが大きな価値になっていました。普段はできない肌で感じる経験に、帰ってからも目をキラキラさせて、興奮して話をするんです。
そんな子どもたちを見て、半信半疑だった保護者の反応も「本当にすごいことをさせてもらったんだな」というものに変わったように感じます。
当時、顧問の先生から話を聞いたときは「そんな経験ができるのか」って驚いたし、張り切って髪を切って参加しました(笑)
今は、よりレベルの高い佐世保や長崎の高校と対戦がしたいと思って島を出ました。大村の向陽高校に進学して、バスケをしています。B-RAVE ONE での経験は、僕に度胸やチャレンジ精神をくれて、外の世界へ踏み出す後押しにもなったんだと思います。
正直昔は、田舎って何もないなと思っていました。でも外に出たことで、海が綺麗だなとか、島もいいなとか、フラットに感じられるようになったんです。人生の中でも、かなり大きな出来事だったなって。
B-RAVE ONE では、長崎ヴェルカのU-15 と試合をしました。
実はそのあと、ヴェルカのユースチームのトライアウトに挑戦しています。結果は不合格だったんですが、そこで受かった同級生たちを追いかけたい、高校でも高いレベルでバスケをしたいという想いが強くなって、推薦をいただいた佐世保工業高校に進学しました。
大学を卒業したら、島に戻ろうと思っています。父が工業の仕事をしているので、家業を継ぎたいんです。
これまで(2026 年1 月現在)参加した子どもたちは、のべ365 人。
B-RAVE ONE は、「離島とヴェルカ」だけでなく、「離島同士」も繋いだそう。それまで島内で完結していた交流に、隣の島の仲間が増えた。仲間の挑戦を知るようになった。それは間違いなく、子どもたちの後押しになっていた。
伊藤社長―――
子どもというだけで、可能性がある。でも自分が子どもの時にその可能性に気づいていたかと言ったら、絶対に気づいてなくて。大人になるほど「若いだけで可能性がある、何でもできるよ」と思うじゃないですか。でもそれを口で言われても「あ、そう」と。おじさんの戯言にしか聞こえない。
そんな子たちがヴェルカの試合を見る。それを見て鳥肌が立つ。馬場雄大から話を聞く。「自分もやれるんじゃないか」と思える。
私が何かを言うよりも、子どもたちが見て、体験する。感じ方は子どもによって違うけど、それでいい。全員に、いろんな響き方があってほしい。
16 歳のとき、「NBA 選手になる」夢を持ち、地元三重県から単身渡米をした伊藤社長。子どもたちの「挑戦」について、こう続ける。
挑戦というと、「大変なことをやってすごいな」という印象を持つ。でも渡米した当時は挑戦でも何でもなく、ただの自分のわがままだった。やりたかったし、好きだったから。「NBA 選手になりたい」その手段が、僕の場合はたまたま、アメリカに行くことだった。
もちろんその挑戦ができたのは、親やたくさんの人のサポートのおかげです。でも何が一番最初かと言ったら「自分の想い」。「やりたい」というピュアなもの。「挑戦」という大袈裟なものではなくて、ただ自分がやりたかったこと。
子どもたちには、好きなことをするのに「失敗」はないと伝えるんです。「失敗」だと思うと、挑戦するのが怖くなったりする。でもその経験から学べば、それは「成長」になる。私は、結果的にNBA 選手にはなれなかったけど、今こういう素晴らしい仕事をさせてもらっているし、素晴らしい人たちと仕事をさせてもらっている。子どもたちにも「失敗」じゃなくて「成長」ということが伝われば。
最後に、「B-RAVE ONE」その先の未来について、伊藤社長と橋本先生が語ってくれた。
伊藤:B-RAVE ONE、B リーグの全チームでやってほしいんですよ!
全国大会を、東京とか都会のど真ん中でやって。馬場雄大がチーム長崎のヘッドコーチ、他のチームもスター選手がヘッドコーチをやるみたいな(笑)
で、観光して「東京ってこんなところなんだ」「こういう仕事があるんだ」と知って島に帰る。それが子どもたちの夢や希望、「頑張ろう」という気持ちになる。
橋本:ユースチームとは違う価値ですよね。ただ「上手い」だけではなくて、「子どもたちが機会を得る」というのが大きな価値になる。
伊藤:その子たちが、プロになるわけではないかもしれない。でも、島外で見つけた素晴らしいサービスやお店を上五島でやりたい、対馬でやりたい。そういう気持ちが生まれて、島が活性化されていく。それによってさらに良い街、島になったら素晴らしい。
橋本:島を出ることが良いというわけではないし、島にしかない良いところがある。外を見ることで、子供たちも島の良さも気づいたりしますからね。もちろん、B-RAVE ONE出身のBリーガーを見たい!という夢もあります。
「長崎と相思相愛でありたい」と語る伊藤社長。長崎ヴェルカはこれからも、たくさんの可能性とともに挑戦を続けていく。
\ B-RAVE ONE 開催の様子はこちらから! /